自然とじゅくとワタシ

山口で生まれ、兵庫、東京、長野、そしてバンクーバーへ!しっかりした人々に囲まれ、30歳「夢見る夢子」なんとか今日も生きる。じゅく、接客、家族、フラダンス、自由なワークスタイル、バンクーバー、ワーホリ。

【長野移住にっき】2011.2 引っ越す前から…鍵を受け取りにいった話

f:id:agrigirl618:20170803145530j:plain

御代田。この日はすごくいい天気だった。

カギを受け取る日。

確か…カギを受け取った日だったか。不動産屋さんまでスーツケースをカラカラと引き、戸を開ける。

 

鍵を受け取って、ありがとうございました!と帰ろうとすると、え!?歩いて行くの?と言われ、はい、というとウソやん?という顔になり、不動産のお兄さんが車を出してくれた。歩けば25分くらいだが、車で5分で着いたので快適だった。

 

その彼は昔東京に住んでいたそうで、

「え!?山口からきてんの?」

「え!?早稲田なの?」

と終始ビックリ。

 

そして、

「実は同じアパートの一階に住んでいる、Yさんは昔からの俺の友達なんだよ~」

と下の家のYさんを紹介してくれた。

 

Yさんは若い夫婦で二人とも東京にいた人でここまで来たのに、色々と話すと長いストーリーがあるのだが、すっかり長野県民に。小さい男の子もいた。当時1歳だった。

いまやその子は小学生だ。時間の流れは恐ろしい。

 

 

すっかり晩ごはん仲間になる。

 

7時半に仕事が終わって帰る。休みの日は車も無いので家でゴロゴロか、西友に歩いて買い物に行く。

Yさんちの奥さん、Kちゃんから「晩ごはん食べた?」とときどき声がかかる。何度晩ごはんに呼んでもらったか分かんない。

何か買いに行きたいものがあれば、Kちゃんが佐久まで車を出してくれた。だから、一年間私は車も買わずにちゃんと生活できた。お休みの日は一緒にお昼ごはんも食べた。大して手伝いもせず、眠たくなってよく眠っていた。

ああこれを書きながら、すごく私ワガママに生活させてもらったなあと思う。もしKちゃんもいなくて、私は農業の仕事は11か月もできなかったと思う。

 

収入もあまりないので、カツカツになりながら、長時間労働をしながらだったので、ゴハンをつくるとかそういう気力がなかった。何を食べていたかよく思い出せないが、けれど、何十回もKちゃんでごはんを食べたことは覚えてる。居候か!

 

冬は一緒に鍋をつついたのが懐かしい。

 

やっぱり優しい人が周りにいて、なんとか生活が成り立っていた。

もし私が人とかかわるのが嫌だったら?誰ともかかわらなくて、部屋に閉じこもっていたら?

 

鍋は一人分でも作れる。けど食べながらテレビとか見てると一緒につついてくれる相手がいないことを自覚する

昔は片手鍋でそれっぽいものを作って、2,3日かけて食べていたなぁ

 

やっぱり、知らない土地に来たら、誰かに助けてもらってなんとか生きていけるのだ。

今振り返っても、そう思う。