【学校について】子どもの世界は、時に想像以上に狭すぎて怖くなる。
今日は生徒のお母さんとの面談があった。学校と子どもについて。
学校に行かないという選択肢が取るには、
— minami toyokawa (@minami618_tommy) 2017年9月17日
エネルギーと勇気がいる。
私は、学校から離脱したら最後、と思ってた。
逃げ出すにも逃げ出せなかった。
学校は自分の世界の全てだったし、
学校に行かないことで、
他の学校の子たちに、また何と言われるか恐ろしかった。
だから、「学校に行かない」という選択肢をとれた子を、
— minami toyokawa (@minami618_tommy) 2017年9月17日
尊敬している部分もある。
私は「行く」ことの辛さよりも、「行かない」ことの辛さの方が怖かった。
おまえは学校にもいけないと思われること。
親に。友達に。先生に。近所の人に。
だから、死んだ目をしてた時も、毎日学校へ行った。
— minami toyokawa (@minami618_tommy) 2017年9月17日
そうするしか、ないと思っていた。
学校に行かない、ことを選択すること
学校に行くことが慣習であり本人の習慣であれば。行かないことを選ぶのは、エネルギーと勇気がいる。そこには意志(消極的なものかもしれないけど)がある。
時代が違うが、私はそこを選択する勇気は無かったなと振り返る。
中学のバタバタ
記憶を振り返る。
部活の上下関係、友人関係。ある日手紙を突然奪われて、勝手に中身を見られる。運悪く悪口があり、その後公開処刑。無視、菌扱い、チクった、チクられた、ガン飛ばした、飛ばされた、アイサツした、しなかった。昨日まで抱き着いてキャッキャしてたのに「あいつ、最近調子乗ってない」「ほんとそれ」「キモ」無視が始まると、その子の顔色はスッとかわる。
後輩を50m先に並べて、アイサツの練習をさせる。
「聞こえない」「もいっかい言え」「やる気ねーだろ」「帰れ」
部活での1人行動も、辛いけど徐々に慣れる。遠征の昼休み、1人で歩いてモスバーガーに行って昼ごはんを食べる。哀れに思った先輩と親。
傲慢
私も私で自分の事しか考えない。お前らバカの言う事に合わせてやってんだと。1人でいる方がマシだとか。
西宮に避難した記憶
息が詰まった私は、山口から兵庫西宮、当時大して仲良くなかった姉の家を1人で訪ねたらしい。私は当時の記憶があまりない。いつどういうきっかけでいったか、思い出せない。ただ、姉は私を素敵なカフェに連れてってくれたような気がする。
私はこの時以来、山口でも一人でカフェにいくようになった。
親の心配
ずっと言われて知ったのだが、当時の両親は兵庫への転校も考えていたらしい。私の親は2人ともたたき上げの強くて厳しい人なので、意外だった。ただ、私がその後学校に戻ったので、その話は消えたよう。その話を聞いたらどうなったのだろうか。分からない。私にとって、当時の学校は「すべて」。行かなければ、ガッカリされる。行かなければ、怒られる。行かなければ、私は… 他の選択肢は頭に浮かばない。
生徒の学校の悩みを聞くと、よぎる
ある生徒が学校への悩みを打ち明けた時。あるお母さんが、学校から遠のく子どもの話をする時。私は私自身のことが、一瞬痛みがよぎる。
結局、上に書いたことは、忘れていても、いつも心の端っこにある。その具体性(細かい場面)は徐々に失いつつも、確実にある。いろいろあったから「今強くなった」は、間違いじゃないけど、結果論かなとも思う。
できることとして
道徳の教科書は「問題と向き合うこと」を教えるけれど、時には「問題から目を逸らす」と教えてもイイ。
自分の気持ちにフタをせず吐き出す。逃げる。逃げるも手段。道徳の教科書に乗ってない、サバイブするための方法を伝える。ダメもとでも。
子どもの世界は、時に想像以上に狭すぎて怖くなる。