【生徒と先生】自分の信条ややり方を仕込むより、その子の努力にただ寄り添う
じゅくの先生、みなみです。
「先生」って呼ばれることに、いまだにムズムズします。
先日の転ばないようにさせるのではなく…の話の続きです。私は「管理型」の指導から、「見守り型」の指導方針を大きく変えたのか。もうちょっと詳しい話をしたくて、改めて書くことにしました。
👇前回の話
自分のやり方を仕込もうとすると、すごく苦しいし、しんどい
自分が現役時代に猛勉強した経験から、わかるノウハウと変な自信があるわけで、家庭教師を始めた頃はその子のタイプに合わせている「つもり」が、結局は自分の信念ややり方を、ゆっくりと押し付けることになっていた。だって、教えるってそういうことでしょ?教えるって、自分の経験や知識を子どもに仕込んで、近道でレベルアップさせて、目標に到達させることでしょ?ちがうの?
そして思うようにいかず、イライラした。「ムダなやり方してる」「ノートを書くスピードが遅い」「へんなこだわり捨てろよ」「わたしのときはもっとストイックだった」「また同じミスした…」
子供が無思考になってくるのがわかる
何かを成し遂げるには、その子が本気で「ハマる」ことが重要、と今なら思う。「ハマり」はしなくても、自分で決めてやってるという気持ちが大事で。
何が怖いって、だんだんその子が無思考になること。「はいこれやったよ。次はなにやればいいの?」的な感じで見上げられると、え?ってなる。
なんで、ロボットみたいになってるの?
ちがう。ちがう。こんなんじゃない。
「守破離」を求めてた。だけど。
学生のころ、「守破離」という言葉を知った
- 他人のルールに徹底的にのっかって、真似る(守)
- そのベースができたら、疑い、納得いかないものはぶっこわす(破)
- 完全に自分の形が出来上がり、最初のルールやシステムから完全に独立する(離)
そして、私はこれを生徒にやらせたいと、生徒に求めていた。だから、あたしのノウハウにちゃんとのっかれよ。と。そのあと、お前の意見を聞いてやるよ、と。でも、それって自分が逆の立場だったらどうなる?中学生の時の私に、もどって考えてみる。先生のルールに徹底的にのっかることができるか?そこまで貪欲になれる?
きっとそれができるのはごく一部であるし、無思考に真似ていくと、真似ることが目標になって、ロボットにしてしまう恐れがある。破、離の段階にいくには、本人に戦略があることが前提となる。
やめた。好きなようにやりなよ。
結局、ノウハウを上からたたきつけるのは、大変だし、向いてないし、何より完全にやりたくなくなった。好きなようにやりなよ、スタイル。内容もできるだけ自分で決めさせる。
- その子が考えるやり方を実践させて、失敗させまくる
- できるだけ、ストレスを無いように勉強させる
①…失敗しても、ミス自体に叱責しない。よかったじゃん。「今間違えといて、本番じゃなくて」のようなノリで、さくさく見直す、教える。時々、考えさせる。
②…1つの問題に何十分も考えさせない。どんどん解答解説を読む。そこから考える。てか、わかんないとこはすぐ聞く。
結局、経験が彼らの先生になる。
自分自身にも言えることだけど、
自分で痛い目みたり、自分で考えたこと、自分で決めて覚えたことが、幸か不幸か血肉になってる。
誰かからの教えで学ぶというのは、自分で盗んでやると決めて学んだ方が、よく覚えてる。
子どもが転ばないように、先回りしないこと。対等であること。
決めるまでは怖かったけど、決めたら自分が楽になった。
私が今までしようとしていたことは、他人をコントロールすることだった。そりゃ疲れるわ。他人なんてコントロールできるわけないもん。子どもも、あくまで他人。自分の所有物じゃない。
そんなこんな、今の「見守り型」塾スタイルになりました。
おわり。