自然とじゅくとワタシ

山口で生まれ、兵庫、東京、長野、そしてバンクーバーへ!しっかりした人々に囲まれ、30歳「夢見る夢子」なんとか今日も生きる。じゅく、接客、家族、フラダンス、自由なワークスタイル、バンクーバー、ワーホリ。

【生徒と先生】自分の信条ややり方を仕込むより、その子の努力にただ寄り添う

じゅくの先生、みなみです。

「先生」って呼ばれることに、いまだにムズムズします。

 

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じゅくの部屋はあったかいんだにゃぁ(とでもいってんのか)

 

 

先日の転ばないようにさせるのではなく…の話の続きです。私は「管理型」の指導から、「見守り型」の指導方針を大きく変えたのか。もうちょっと詳しい話をしたくて、改めて書くことにしました。

👇前回の話

 

agrigirl618.hatenablog.com

 

 

自分のやり方を仕込もうとすると、すごく苦しいし、しんどい

 

自分が現役時代に猛勉強した経験から、わかるノウハウと変な自信があるわけで、家庭教師を始めた頃はその子のタイプに合わせている「つもり」が、結局は自分の信念ややり方を、ゆっくりと押し付けることになっていた。だって、教えるってそういうことでしょ?教えるって、自分の経験や知識を子どもに仕込んで、近道でレベルアップさせて、目標に到達させることでしょ?ちがうの?

そして思うようにいかず、イライラした。「ムダなやり方してる」「ノートを書くスピードが遅い」「へんなこだわり捨てろよ」「わたしのときはもっとストイックだった」「また同じミスした…」

 

子供が無思考になってくるのがわかる

 

何かを成し遂げるには、その子が本気で「ハマる」ことが重要、と今なら思う。「ハマり」はしなくても、自分で決めてやってるという気持ちが大事で。

何が怖いって、だんだんその子が無思考になること。「はいこれやったよ。次はなにやればいいの?」的な感じで見上げられると、え?ってなる。

 

なんで、ロボットみたいになってるの?

 ちがう。ちがう。こんなんじゃない。 

 

 

守破離」を求めてた。だけど。

 

学生のころ、「守破離」という言葉を知った

 

  • 他人のルールに徹底的にのっかって、真似る(守)
  • そのベースができたら、疑い、納得いかないものはぶっこわす(破)
  • 完全に自分の形が出来上がり、最初のルールやシステムから完全に独立する(離)

 

そして、私はこれを生徒にやらせたいと、生徒に求めていた。だから、あたしのノウハウにちゃんとのっかれよ。と。そのあと、お前の意見を聞いてやるよ、と。でも、それって自分が逆の立場だったらどうなる?中学生の時の私に、もどって考えてみる。先生のルールに徹底的にのっかることができるか?そこまで貪欲になれる?

 

きっとそれができるのはごく一部であるし、無思考に真似ていくと、真似ることが目標になって、ロボットにしてしまう恐れがある。破、離の段階にいくには、本人に戦略があることが前提となる。

 

やめた。好きなようにやりなよ。

 

結局、ノウハウを上からたたきつけるのは、大変だし、向いてないし、何より完全にやりたくなくなった。好きなようにやりなよ、スタイル。内容もできるだけ自分で決めさせる。

 

 

  1. その子が考えるやり方を実践させて、失敗させまくる
  2. できるだけ、ストレスを無いように勉強させる

 

①…失敗しても、ミス自体に叱責しない。よかったじゃん。「今間違えといて、本番じゃなくて」のようなノリで、さくさく見直す、教える。時々、考えさせる。

②…1つの問題に何十分も考えさせない。どんどん解答解説を読む。そこから考える。てか、わかんないとこはすぐ聞く。

 

 

結局、経験が彼らの先生になる。

 

自分自身にも言えることだけど、

自分で痛い目みたり、自分で考えたこと、自分で決めて覚えたことが、幸か不幸か血肉になってる。

誰かからの教えで学ぶというのは、自分で盗んでやると決めて学んだ方が、よく覚えてる

 

 

子どもが転ばないように、先回りしないこと。対等であること。

 

決めるまでは怖かったけど、決めたら自分が楽になった。

 

私が今までしようとしていたことは、他人をコントロールすることだった。そりゃ疲れるわ。他人なんてコントロールできるわけないもん。子どもも、あくまで他人。自分の所有物じゃない。

 

そんなこんな、今の「見守り型」塾スタイルになりました。

 

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うーん、あったか。


 

おわり。