【じゅくの先生】「いかに教えないか」を探る、葛藤の日々です
じゅくの先生、みなみです。
昨日1400字も考えながら書いた文章、間違えて消去、ヤケになってPC閉じました(笑)
長いです。時間ある時にどうぞ!
じゅくの場所【佐久】
「教える」ことで最も大事なのはテクニックじゃない
よく人に教えるって大変ね、と言われます。
でもね「教える」で最終的に重要なのはテクニックじゃなく、「我慢や根気」かなって。
わかるところまで噛み砕いたり、どんなに初歩的なことでも戻って、相手をこバカにしたり、精神的に追い詰めずに、できるだけリラックスした状態を作り、具体的に説明することです。これにつきます。でも結構難しいんです。すぐイラっとしたり、正論で追い詰めて、論破したくなる。(それ先週の授業でやったやん、なんで?復習してないの?とか)
感情的になるのは(私の中では)アウト。自分の負の感情があっても、極力悟られないように、たんたんと答え続けます。もちろん時々それに失敗しますし、何回も同じこと聞かれると答えるのをしぶったり、ナメた態度や言動には軽いお叱りやジョブお見舞いしたりします。
大事なのは、教えると教えない時間のバランス。
ただ、この仕事は「教える」ことは自体はそんなに重要じゃない。
大事なのは、「教える」と「様子見・観察」のバランス。つまり「教えない」という選択もある。
- 自分から聞いてくるのを待つ
- 長時間つまっていたら、さすがに「どこわかんないの」と聞く
- 質問を受けたら、すぐ説明しないで解答を読ませる
- か、その問題を解くのが2回め以降なら小出しにヒントを出したりもする
- 理屈を説明する必要性がある時、なぜそうなるかを解説する
箇条書きにするとこんな感じです。
3ですが(その問題を解くのが何回めかにもよるが)初見の問題は「まず答え(解説)読んでいいよ」。解説はお手本。お手本を見ないことには、まねもできないので、最初のスタートは切れません。
し、解説を読んで理解する作業は、根本的な思考力をつける訓練にもなります。
一部の子は「数学はひらめき」と思ってますが、違います。
数学で点が取れるかの大きなポイントは、「どれくらい解答パターンを覚え、使えるか」です。あとは、計算問題みたいな筋トレ。半分、暗記ゲームです。
だから、結局はどんなに頭良くても、まずアホみたいな量のパターンを覚えるしかないんです。
それができれば、だいぶ戦えます。
「分からなそう」と思っても、すぐに色々教えない
だいたい、手が止まると「分からないことがある」か「集中力が切れた」状態です。
まず、じっと見ます。私が見てることが分かると、集中力が切れた子は「ヤバっ」となってまた勉強し始めます。分からなくて止まってる子は、目が合うと「せんせ〜」と何か聞いて来たりします。そこで始めて、私は彼らの勉強のスペースに入ります。
たまに、通りすがりに声をかけたりもします。
でも、すぐ教えません。「ふーん、分からないんだ」「大変だね」「あーそれむずかしーよね」「○○高校、問題集エグいね」とか言って、しばらく放置。うわ。書いてると、まるで人ごとのよう( ^ω^ )笑
で、小出しでヒントを与えます。
できるだけ、一方的に説明しないで、キャッチボールしながら教えます。
たとえば…
せいと「先生、(解説を指差して)ここなんでこう(左辺=右辺)なるんですか」
みなみ「これ、ふつうに(左辺を)計算しただけじゃない?」
せいと「計算…(しばらく、解説を見て考える)」
みなみ「この式展開したら…(しばらく待つ)」
せいと「…(考えてる)」
みなみ「このカッコを展開したら、6nになって、ー6になるよね…(また待つ)」
せいと「えーと10ー6で・・・だからこれが4?」
みなみ「そう!」
もしこれを、一気に言うと。
せいと「先生、(解説を指差して)ここなんでこうなるんですか」
みなみ「これ、ふつうに計算しただけじゃない?この式、つまりまずカッコを展開したら、6nになって、ー6になるっしょ?だから10ー6でこれが4。そしたらこれ(左辺)はこれ(右辺)になるでしょ」
もし、一気に言うと解答すると生徒は
- 頭のいい子だと、途中でもう答えがわかったから、途中から説明いらない。
- 聞くだけでわかった気になる(でも自分がどこで分からないか分からないまま?)
- 1〜10まで説明してもらえるのが当たり前になる
そして教える側も
- その子がどこのポイントでつまづいたか精査できない
- つまり、教える側の自己満足になりやすい
もちろん時と場合によるし、程度も変わってくる。
ただキャッチボールをしながらいけば、その子の反応でもっと説明が必要か?それとももうこれ以上説明しなくてもいいか、その見極めのポイントがわかる。
そのポイントによって「これ以上は教えない」という選択も必要なのだ。
じゅくの場所【御代田】
【まとめ】人生もそうだけどさ、本番でいかに自力で分析して、解決策を打ち出せるかなんだなって
結局これ⬆︎ができるようなってほしいのだ。「社会に出た時のため!」とかそういう長期的なあれではなく、短期的な意味でも。
定期テストだって結局は自力で解くじゃないすか。誰の助けも借りられない。自分で噛み砕いて、自分で課題をこなす力。
結局問題もよく読みこんでないじゃん、みたいなことがあるのだ。
だから、「手をかけすぎない」こと。自力が前提。問題をよく読ませ、解答を読ませる。
で、必要に応じて助け舟を出す。
「わからない」って言われても、すぐ教えない。ヒントを小出しにする。
「教えてもらえる」ことが当たり前に思われちゃうからね。それが怖い。私もいつかいなくなるから。
でも、教えてもらわないと全然進めない子とかもいるから、そこは葛藤なんですね。
おわり。
きょうのつくしくん
だいぶ三角です!
【あるべき接客】アレルギー対応。自分が持っていないからこそ、細心の注意を払う。
じゅくの先生みなみです。
接客業歴が長いです。最近短期で、昼間ホテルで働いています。
お気にの場所
「牛乳」アレルギーと言われ…
先日、ホテルで朝食の準備をしていた際、
アレルギー欄に「牛乳」と。…どこまでいいんだ?
オムレツにも牛乳は入るからもちろんダメだろうけど。
見渡せば牛乳以外にも、チーズやヨーグルトなど乳製品もある。
結局その後、確認したのち、
牛乳はアレルギーではなく、苦手だったということだったので、
一安心して、提供できたのだった。
以前読んだブログで、卵アレルギーの子が お菓子に入っていた
卵黄パウダーでアレルギー症状をおこしたことを読み、どきり。
アレルギーは怖い。
完全なアレルギー対応はできないことを伝えることは潔い?
数年前まで、某シアトル系のコーヒーチェーンで3年ほど働いていた。(塾と並行して)
その間にアレルギー対応はぐんと厳しくなり、アレルギー対応マニュアルが一層厳しくなった。
お客様からアレルギーと聞いた場合、マニュアルでは各ステップあるのだが、
最初のステップとして、
“アレルギー対応商品は販売できない旨を伝え、丁重にサービスのお断りをする”といったような項目があった。
※仕事を離れてかなり時間が経っていて記憶を頼りに書いているので、↑完全に“〜”という文言ではないです。
語弊が無いように伝えたいのだが…
「アレルゲンが入らないように細心の注意でサービスはするが、提供できるものは100%のアレルギー対応ではない」ということ(スタンス)を、初めに明確にお客様に伝えるということ。
たしかに、目の前のお客様がどの程度のアレルギーかも分からない状態で、口頭のアレルギーの確認で、見た目は清潔でも色んなものが付着しているだろうバーでドリンクを作って、例えその製品を使ってなかったとしても、完全にアレルギーを防げるとはいえないよね…フードもしかり。
日本全国でどれぐらいの数のスタッフが、どの程度の言い方で「対応できない」を伝えているかは定かではないが、当時このステップを導入時店長からは、
「まずはアレルギー対応商品は出せないと、断る」旨をはっきり言われた。
その後、その旨を承知いただいた後、そのレジを受けたスタッフが、フードの取り出しやドリンク作成を一人で行い、最後の受け渡しまで行うという形に。
アレルギーの方にもドリンクを楽しんでほしいなあと思いつつ、その問題の大きさとリスクとを考えると、なんだか難しいなと思う。
アナフィラキシーショックを知らなかった。
恥ずかしながら、私はつい数年前にこの言葉を知った。
軽井沢に来て最初に働いたホテルで、アレルギー知識チェックテストを受けた。全問正解しないと、合格できないテスト。
その時、そばやピーナッツは重篤になりやすいことも知ったし、アナフィラキシーショックという言葉も知り、その恐怖も机上の上ながら知る。
提供するときにどれだけ意識があるか
今も仕事で、アレルギーという言葉を見るとピリリと緊張が走る。
もちろん出すものに間違えちゃダメだし、細心の注意を払わなければと思う。
お肉も、出しにはいるだけでダメな人もいるし、
そばの匂いだけでダメな人もいる。
理解も深めたいし、できるだけいい状態で良いものをだしたい。
おわり。
【あるべき接客】「お客様を待たせるな」それはそうだけどさ
じゅくの先生、みなみです。
どちらかというと接客業に携わってた方が長いです。
レストランや結婚披露宴は、料理よりも接客が気になる、完全な職業病です。
先日の誕生日会のもの
接客が楽しい
接客業を離れていた時期がありました。
で、事務や派遣を経て今はまた本格的に接客に戻りホテルでも働いているのですが、
楽しい。
昔いやなことがいっぱいあったのに、楽しかった。
一期一会の人に、ささやかな美味しさやゆったりした時間、ちょっとした幸せを提供できる感じ。
短い時間の付き合い。おしゃべり。
終わってしまう瞬間この時間を惜しいと思えるし、
お客さんがふっと立ち上がり、扉の外へ行けば、席に漂う寂しさ。
あとカフェで働いているときは、ショーケースの中にいっぱいケーキやペイストリー、並べ終わった時のあの、食べ物がギューギューに入っているのを見るのが幸せだった
もちろん良いことばかりじゃない。
なめられてアゴで使われる、怒られたり、怒鳴られたり
(もちろん自分が悪いこともある)
職業病
接客業をやっていると、日常生活でも人のふとした言動に敏感になる
- お金を投げ渡す
- 店員に見下すタメ口
気になる…
逆に自分。
相手の気持ちを害さないために、自分の一挙一動に過敏になる
そんなの気にしてないやろ、みたいなことにも敏感に
何回もすみませんとか、ありがとうございますとか、いっちゃう。
職業病②
多くの飲食店(特に大手チェーン)は薄利多売だから
「一定時間のあいだにどれだけ数を回転させるか」が利益的に大事。
たとえばピークタイム、食後のコーヒーまで終わっているのに、いつまでも席を立たない人は「居座っている」とされ、嫌煙される。
だから自分。
客側のときは、常に周りの混み具合を意識。
混み出すと思わず立ち上がりたくなる(>_<)
飲食店が意識する「回転率」
上記のようなこと(職業病②)が、店側にいたときにおこった。
ゆったりアットホーム系のカフェで働いていたとき、
入り口の外に長蛇の列ができていても、なかなか立たないお客さんがいた。
「あの人たちが立てば、次の人が呼べるのに」
と、しびれをきらして、同じカフェのスタッフが話す。そうだね、と共感しつつ、まぁ、別にいんじゃない。とも思った。
接客業やってたり、ちょっと察した人は、店が混んだら席を立たないと、みたいな意識が働く。けど、それはあくまで自分の好意で、つまり好きでやってることで、だがらお客様に求めたり、それに従わない人を非常識扱いするのも違うかなって。程度にもよるけど。
その二人がどういう状況で会ってるかわからない。コーヒーが飲み終わっても、今話してる話が二人にとってはすごく大切な話かもしれない。
楽しく、各々のカフェの時間を過ごしてもらうのが目的だから。
その人たちのペースで、いいんじゃないかなと思う。常識の範囲なら。
(この常識の線引きがあいまいだけど)
つまり、食後のコーヒー飲んだからって、3分以内に立ち上がらないといけないわけじゃないっておもう
東京で時間制限のカフェとかあったけど、なんつーか、時間に縛られることに慣れちゃうよね
「待つこと」
接客業の人って、大なり小なり
店の外でお客さんを待たせたり、並ばせることに罪悪感をもってる。
だから、早くしないと、って思ってる。
よく自分で決めて並んでるのに
「こんなに待たせて!」て怒ってる人いるけど
待たせたくて待たしてるわけじゃないんだよ。当たり前だけど。
たとえ、立て続けにお客さんがお会計終わって、帰って、席が空いたとしても、
そのとき料理出しが詰まっていたら片付けよりそっちを優先する場合もある。
お客さんはまってくれても、料理はまってくれない(冷める)
だから逆に自分がレストランを待つときは、あくまでも待つことへの余裕がある時だ。
自分が待ってる時に勝手にハードルをあげて、中のスタッフの動きをあれこれ
批判したり、怒ったりするような気持ちの状
態は、自分が不幸になる。
精一杯、お席が早くできるように努力はします。
だけど、いろんな中のバランスがあっての接客だし、ご案内だから、
そこは理解してほしい。自分自身の幸せな時間のためにも。
つぶやきでした。
おわり。